全国各地のハンセン病療養所には、それぞれ園歌がある。国の誤った政策で生涯、療養所に隔離された人たちにとって、園歌はどんな意味をもったのか。歌手の沢知恵さんは13カ所の国立療養所すべてを訪ね、入所者に歌ってもらい、楽譜や証言を集めてきた。歌が果たした役割とは、そして音楽の力とは。
――なぜ、ハンセン病問題に関心を持ったのですか。
「キリスト教の牧師だった父は、学生の頃からハンセン病療養所で奉仕活動をしていました。私が生後6カ月になると、瀬戸内海の離島にある、大島青松園(高松市)に連れて行きました。もちろん記憶はありませんが、写真が残っています」
「私が高校生のとき、父は病気で亡くなりました。父の足跡を追い、1996年に青松園を訪ねました。約20年ぶりでしたが、『ともえちゃん、大きうなったなあ』と入所者の皆さんが大歓迎してくれました。入所者は子どもを持つことが許されず、赤ちゃんは珍しかったのでしょう。人が人を覚えてくれている。大きな愛を感じ、島に通うようになりました」
――大島青松園では2001年から毎年、コンサートを開いてきましたね。
「コロナ禍で中断しましたが今年8月、島外からの人も交えて4年ぶりに公演しました。療養所がどんなところか、外の人に伝え、足を運んでもらうことが私の使命だと思っています」
――ハンセン病療養所の園歌に関心を持ったきっかけは。
「青松園の教会で偶然、園歌…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル