戦後、低迷していた上方歌舞伎の再興を掲げ、近松門左衛門の作品を研究上演する「近松座」の海外公演など画期的な活動で、歌舞伎界の頂点に立った坂田藤十郎さんが12日、亡くなった。上方和事芸で見せた上方のはんなりした風情、義太夫狂言の女形の大役に代表される迫力ある演技など多くの名演を残した。 上方歌舞伎の名家に生まれたが、幼いころは歌舞伎に興味のない子供だった。転機は18歳のとき。上方芸能のパトロンとしても知られた武智鉄二の「武智歌舞伎」に参加、本人によると「あまりに下手だったので」、武智が、京舞井上流の四世井上八千代、文楽の八世竹本綱太夫ら当時の名人にマンツーマンのレッスンを受けさせた。それが芸の基盤となった。「わたしほど幸せな人間はいない。素晴らしい先生方に出会ったおかげで、日本の伝統芸能の本質、深さに気付かされた」と振り返っている。 藤十郎さんの代表作「曽根崎心中」が復活初演されたのは昭和28年。藤十郎さん(当時、二代目中村扇雀)ふんするお初が徳兵衛と心中に向かう際、お初が徳兵衛の手を引く形で先に花道を引っ込んだのである。従来、歌舞伎の女形は、立役(男役)から一歩下がっているものと決まっていた。その常識を打ち破り、自らの意志で男性をリードする藤十郎さんのお初は、戦後、社会進出を果たしていく日本の女性たちの共感を得て、新しい女形として一躍ブームを巻き起こした。生涯をかけて上方歌舞伎を追求した見事な人生であった。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース