人は消え、時が止まったかのような感覚。見えるのは屋根から崩れ落ちた瓦や、ガラス戸が割れたままの商店。鉄格子のバリケードを越えて路地の奥へ進むと、空気が変わったような気がする。
福島県沿岸部を中心とした7市町村には、原発事故で放射線量が高いため、立ち入りが厳しく制限される帰還困難区域が広がる。その面積は東京23区の半分余りの約340平方キロメートル。ほとんどで今も解除の見通しが立たない。
拡大する国道から集落に向かう道をふさぐバリケード。津島稲荷神社の鳥居はこの先にある=2021年1月21日、福島県浪江町、力丸祥子撮影
- 記者が歩く 東日本大震災10年
- 東日本大震災から間もなく10年。13日夜にも余震とされる最大震度6強の揺れが襲った。復興に向けた人々の歩みは、前に進んだのか。被災地を記者が歩き、考えました。
取材の許可を得て区域内に入ると、荒涼とした空間にぽつんと取り残されたようで不安になる。私(33)が福島に赴任して1年半近くたつが、その間に解除されたのは昨春に再開したJR常磐線の駅などごく一部だ。「どうせもう戻れない」という声も聞く。
そんな中で、いつも気になる場所があった。神社だ。周囲は荒れているところが多いのに、境内の草が刈られ、手入れが行き届いている。何より、人の気配がする。
拡大する津島稲荷神社へ続く西参道は車が通行できるよう草が刈られていた=2021年1月21日、福島県浪江町、力丸祥子撮影
「さて、行こうか」
1月中旬のある日。福島市の住宅街で、黒い羽織に深緑色のはかま姿の井瀬信彦さん(90)に促され、私は車に乗り込んだ。後継ぎの次男の信宏さん(58)がハンドルを握る。
拡大する川俣町と浪江町の境界。警備員が常駐し、「この先帰還困難区域」と告げる日本語と英語の看板が並ぶ=2021年1月21日、力丸祥子撮影
井瀬さんは同県浪江町で840年続く津島稲荷神社の17代宮司。神社と自宅は原発から30キロほど離れた山間地にある。だが、事故時に放出された放射性物質が多く降り注ぎ、いまも避難指示が出されている。
井瀬さんを知ったのは昨年10月。避難指示が解除された町の中心部周辺にある神社で、しめ縄を作っていた。聞くと、受け持つ17社のうち、帰還困難区域にも七つの神社がある。主な3社を中心に月2回、掃除などのために通う。人が住んでいないのになぜ? 同行をお願いした。
拡大する地震で倒壊した鳥居や社殿の再建がまだ進まない国玉神社で祝詞を上げる宮司の井瀬信彦さん=2021年1月15日、福島県浪江町、力丸祥子撮影
故郷に帰れないままの「お別れ」
「この先帰還困難区域(高線量区間含む)」
「No Entry!」
内陸の福島市と沿岸を結ぶ国道…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル