被爆者の平均年齢が85歳を超えた中、家族の被爆体験を語り継ぐ人たちがいる。思いを受け継いだ人たちが歩み出している。
「崩れた家が並び、皮膚がただれて苦しんでいる人の姿を目にしました」
2日、広島市の平和記念資料館を訪れた人を前に、同市の尾形健斗さん(32)が語った。入市被爆した祖父、松原昭三さん(94)の体験だ。
昨年度から市が養成を始めた「家族伝承者」は親や祖父母などから聞き取った被爆体験をもとに講話を行う。今年4月に尾形さんら「1期生」の7人が委嘱を受けた。
尾形さんが松原さんの被爆体験を初めて聞いたのは小学4年。家族から戦争体験を聞くという夏休みの宿題だった。いつも笑顔の祖父が険しい顔をしていた。「壮絶な体験をしたんだ」「聞かない方がよかったんだ」。そう思った。そして、松原さんも「悲しい思いをさせるだけだから」と、家族には語ってこなかった。
一方、尾形さんは大学時代を県外で過ごし、広島とは原爆への関心に差があるのを感じた。家族伝承者制度が始まるのを知り、祖父に体験を語り継ぎたいと申し出ると、「体験した者の責任だから」と応じてくれた。
当時16歳だった祖父の経験を半年かけて聞き取った。広島県東広島市の実家からおばを捜すために広島市に入ったこと。橋の欄干にもたれかかった黒こげの遺体、あばら骨がむき出しの人……。川に重なった遺体を魚がつつく光景も目にしたという。簡単には想像できないような光景を、祖父が一人で抱えて生きてきたのかと思うと、胸がいっぱいになった。
「当時を知る人はどんどん少なくなる。もっと早くに聞いておけば良かったと思うこともある」と尾形さん。「これからも少しずつ祖父や身近な人の話を聞き、伝えていこうと思う」
孫の姿に松原さんは「争いのない世の中になってほしい。その思いを重ねる人が増えるのが大切だ」と期待を寄せる。
■「いつまでできるかわからな…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル