新型コロナウイルスのニュースでたびたび目にする保健所。なんとなく大事なのは分かるけど、知っているようで知らない存在だ。大阪府での現場経験も豊富な関西大の高鳥毛敏雄教授(公衆衛生学)に話を聞くと、見えてきたのは結核との長い闘いの歴史だった。(共同通信=武田惇志)
―コロナ対策を支える保健所について教えて下さい。
日本の公衆衛生は、欧米とは異なる経緯でつくられた保健所と保健師に支えられています。その保健所が辛うじて生き残っていたことが幸いでした。保健所は、結核に苦しんだ長い歴史があったことでつくられたものです。2018年でも新規の結核患者は1万6789人、死亡者は2303人の状況です。日本のコロナ対策は、欧米では聞かないクラスター対策を行い流行拡大の阻止をしていますが、それは全国に保健所と保健師が残されていたからこそ成り立っています。そうでなければ欧米諸国と同じ展開となった可能性があります。
―結核対策が保健所を生んだのでしょうか。
はい。日本は遅れて産業化を進めたために、近代国家の建設時期と結核の流行拡大が密接な関係にありました。死亡統計でみると1909~50年の40年間、連続して死亡者数が10万人を超える異常事態でした。結核の罹患者は青年層であり、国の重要な労働力と兵力の生命を失うことにつながります。その結果、国家、社会をあげて取り組むことが必要となりました。そうして設けられたのが保健所と厚生省(当時)だったのです。
保健所が誕生した1937年は、日中戦争が始まった年。外国とだけでなく、内なる結核との闘いもしなければならなかったわけです。事態を憂慮された皇后陛下から援助がなされ、「結核予防会」が設立されました。同会は結核研究所を設け、結核対策の科学的・技術的な手法の開発だけでなく、結核対策を担う保健所職員の教育訓練も担当してきました。また、保健師の育成については、都道府県・政令指定都市が専門学校を設けて養成しています。
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Source : 国内 – Yahoo!ニュース