1945年6月19日夜、米軍機が福岡市中心部に焼夷(しょうい)弾を投下し、1千人以上が死亡・行方不明になった福岡大空襲から77年を迎えた。18日には「平和のための福岡女性のつどい」が福岡市南区であり、空襲を体験した男性が当時のことを語った。
「空からどんどん焼夷弾が落ちてきて、逃げ道がない。その中を母と走り回った」
石橋義廣さん(82)=糸島市=は国民学校(現在の小学校)に入学したばかりで、現在の博多区冷泉町に暮らしていた。父や姉たちが仕事や疎開で不在の夜、空襲が始まった。炎が迫り、母に手を引かれて街に飛び出した。
あちこちで火柱が上がり、2…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル