平成最後の直木賞受賞作「宝島」は、沖縄が米軍に統治された1952年から72年の日本復帰までを描いた小説です。著者の真藤順丈さん(44)はいま、その続編を書いています。沖縄にルーツのない真藤さんが、なぜ沖縄に向き合い続けるのか。「沖縄は戦後日本の原点であり、原風景のように親しめる場所であって欲しい」。そんな願いにたどり着くまでには、多くの葛藤がありました。
しんどう・じゅんじょう
作家。1977年、東京都生まれ。2008年に「地図男」でデビュー。18年に出版した「宝島」が山田風太郎賞を受賞。19年には直木賞に選ばれ、講談社によると、文庫と合わせた発行部数は累計42万部。他に「RANK」「墓頭」などの作品がある。
――2008年のデビュー以来、数多くの小説を発表してきました。「宝島」で沖縄を舞台にしたきっかけは何でしょうか。
「近現代を舞台にした小説を書いていると、アメリカとの関係、戦争の記憶、自然破壊、中央と地方との関係など、重要ないくつものアジェンダを突きつめた先に、いつも沖縄にたどりつきます。かつてそこでは、住民を巻きこんだ地上戦があり、戦後は米軍に占領され、その後日本に復帰しても基地負担は変わっていない。沖縄が向き合っている問題は、実際は日本に暮らす人すべてが直面している問題であるはずなのに、それがなかなか身近な手ざわりで『自分事』として感じられない。この事実を、長編小説を書きながら自分なりに咀嚼(そしゃく)してみたいという思いがありました」
小説「宝島」のタイトルや主人公に込めた思いは
――米軍基地から食料や物資を奪う「戦果アギヤー」を主人公にしたのはなぜですか。
「最初は、琉球警察を書こうと考えました。警察小説となると事件がいる。統治下で起こった事件を調べるうちに、戦果アギヤーの存在を知りました。基地や軍事施設から食料や物資を奪い、それを生活の糧として生き抜いていた。生きることが最優先課題なので、決して死んではいけない。ここから沖縄の『ぬちどぅ宝(命こそ宝)』という言葉を想起し、小説のタイトル『宝島』につながります」
記事の後半では、沖縄を描くことへの葛藤、それを乗り越えるために真藤さんが沖縄に足を運んで重ねたことなど、小説「宝島」を書き切るまでの作家の苦悩を明かします。沖縄と向き合うことで、真藤さんの内面も少しずつ変わっていったと語ります。
――「宝島」というタイトルにどんな思いを込めたのですか。
「奪われた土地や資材をみず…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル