ひと目でその人の作とわかる強烈なパブリックアート、お茶の間を騒がせた名言やベストセラー。没後26年の今なおカリスマのイメージがあせない芸術家・岡本太郎(1911~96)とは一体、何者だったのか。大阪中之島美術館で始まった回顧展は、その多岐にわたる表現活動を過去最大規模の約300点で総覧する。
「芸術は爆発だ」などの名ゼリフでお茶の間を沸かせた岡本太郎は、何を成し遂げた人なのか。記事後半では、大阪万博の象徴「太陽の塔」と渋谷の壁画「明日の神話」の意外な共通点や、岡本太郎を長年評価してきた美術史家・山下裕二さんの談話を紹介します。
18歳から約10年をパリで過ごした岡本は、抽象やシュールレアリスムといった前衛運動に触れたり、離れたりしながら、作風を模索していく。一時は絵画制作を中断し神秘主義者ジョルジュ・バタイユ率いる秘密結社に参加するなど、最先端の思想も盛んに吸収した。
パリ時代の作品はこれまで戦火ですべて消失したとされ、戦後の再制作や図版だけで知られてきた。そんな状況に一石を投じたのが、近年パリで見つかり、今展で日本初公開となる抽象画3点だ。20代前半ごろの作品と推定され、岡本の原点を知る貴重な作例として調査が進んでいる。
岡本芸術を貫く「対極主義」
帰国後に徴兵された岡本は復員後、合理と非合理、抽象と具象、美と醜といった要素を矛盾したまま共存させる「対極主義」を提唱する。工場に通って描いた「重工業」では、無機物の歯車と有機物のネギが対置されている。1954年のベネチア・ビエンナーレに出品された「森の掟(おきて)」は、世間ではファシズムの寓意(ぐうい)と受け止められたのと裏腹に、岡本自身は「全然意味の認められない無邪気な仕事」と語ったという。
パリ時代に民族学に傾倒した…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル