渡辺芳枝 矢島大輔
芥川龍之介、与謝野晶子、室生犀星……。9月1日で発災100年となる関東大震災は、多くの文化人や経済人がその様子を記録していた。歴史に刻まれた大災害は、どう描かれたのか。
「羅生門」「鼻」などを発表し、人気作家だった芥川龍之介(当時31)は1923(大正12)年9月1日、体調がすぐれず、今の東京都北区にあった自宅で早めの昼食をとったところだった。随筆などを集めた「百艸(ひゃくそう)」収録の「大震日録」に、発生の瞬間を記している。
九月一日
午ごろ茶の間にパンと牛乳を喫し了(おわ)り、将(まさ)に茶を飲まんとすれば、忽(たちま)ち大震の来るあり。母とともに屋外に出ず。
家おおいに動き、歩行甚(はなは)だ自由ならず。
大震漸(ようや)く静まれば、風あり、面を吹いて過ぐ。
震災5日前に長女が誕生したばかりだった室生犀星、火災で完成間近の原稿1千枚を失った与謝野晶子…。文豪らはこの困難を、のちの創作につなげました。一方、帝国ホテルの犬丸徹三、鹿島組の鹿島龍蔵は、あふれる避難者を前に、ある決断をします。記事後半に続きます。
この時の芥川について、妻の文(ふみ)も「追想 芥川龍之介」に書き残している。
文は2階で昼寝中だった次男…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル