政府は10日、辺野古で新たな工事に着手した。計画浮上から30年近くが経つ米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画。代執行で知事権限を奪い、工事を強行する政府の姿勢に「気持ちをぺしゃっとつぶすのが国のやり方」「なんたることだ」と憤りは、沖縄の内外に広がった。
工事車両が出入りする米軍キャンプ・シュワブ(名護市辺野古)のゲート前。政府が移設事業に着手して以降、抗議の座り込みが3475日を数えた10日も、40人超の市民らが声をあげていた。
「辺野古埋立阻止」のボードを掲げていた豊永美菜子さん(48)=読谷村=は昼ごろ、ざわつく周りの会話で着工を知った。有無を言わせぬ姿勢は何度も目にしてきた。驚きはなかった。それでも「とにかく工事をするのだという国の前のめりの姿勢が怖い」。
1年前から週1回、ひとりで車を1時間ほど走らせて通う。おととし10月、〈座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?〉との投稿がSNS上で広まったことがきっかけだった。「目に見える形で意思表示をしなければ、ないことにされてしまう」と危機感が膨らんだ。
普天間返還合意の契機となった1995年の少女暴行事件のときは、20歳。母親から「気をつけなさい」と言われたが、深く考えることはなかった。変わったのは、子どもが生まれてから。近所では、酒に酔った米陸軍上等兵が民家に無断で侵入する事件が起きた。当時家にいた女子高生は、生後5カ月の妹を抱えて裸足で逃げた、と聞いた。「自分の娘だったら」と身震いした。
長女(17)は普天間飛行場…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル