日本軍の飛行場をつくるため、田んぼを土で埋める作業をしている時だった。
担任の先生から突然声がかかった。
「君、ノアの方舟(はこぶね)に乗らんか」
太平洋戦争末期の1945年4月末、奈良県の農村。勤労動員中だった中学3年の片岡宏さん(91)は校長室に連れて行かれた。
「明日から勤労はしなくていい。代わりに特別科学学級の選抜試験に専念せよ」
何のことか分からなかったが、働かなくていいことがうれしかった。
その8カ月前、帝国議会(現在の国会)。衆院議員らが「戦時英才教育機関」の設置を政府に求めていた。
アメリカに勝つため、天才児を選抜して英才教育をほどこし、新兵器の発明をしよう――。
議員が訴えた。答弁に立った文部省高官は「至極同感であります」「戦時におきましては適当な一方途と考えます」などと応じた。
そして政府は45年1月、成績優秀な子どもを選抜して教育を受けさせる「特別科学教育」を始めた。
戦災から逃れられる―― 担任の言葉の意味
当時の文部省の広報誌「文部…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル